南の海辺から北の海辺へ

高齢者大学の館外学習。。。つまり春の遠足に一緒に連れっててもらいました。
篠山の丹波並木道中央公園、舞鶴引揚記念館、赤レンガ博物館。。。北へ北へ、高速道路がビュ〜ンと伸びているので、あんなに遠くに行ったって感じないほどです。

舞鶴引揚記念館には
はぁ〜はは、来ましぃ〜た♪ 今日ぉおも来たぁ〜〜♪という歌とみんな帰ってくるのにうちの子は帰って来ん、とかっていう哀しいセリフが、ワタシの記憶に残ってる「岸壁の母」のことだけでなく、
シベリアでの抑留生活の様子がつづられた日記や引き揚げてきた人たちの写真など…ついこの前、ほんとうにあった現実が並んでました。
日記の中の「えらそーにしやがって、ちきしょー」「休みなく働せやがって、こんなもんで腹がふくれるか」なんて言葉は、今の人とすぐ会話できそうだけど、
その日々は、ほんとに、生きて帰って来はったことが奇跡やナァっていう毎日です。
お魚2尾と交換された娘さん(女の子?)。。。え(@_@;)と思うけど、生きていれば会えるという親の想いがあるのです。ってガイドの方がおっしゃってました。
「生きていれば。。。。」なんとかなる、っていうより、なんとかしてやる。みたいな気概が迫ってきました。

この美しい仕事! そんな過酷な中で作られた感がないですよね。。。
こんな大変で、へとへとなのに
コレを作る意欲やコレで遊ぶ、心の余裕もお持ちなんです。
書くこと、描くこと。作ること、奏でることが、生きる力の源になってる。。。。
生きぬいた方のものが並んでるから、そうなのかもしれないけど、
なんていうか、哀しい、つらい、過酷。。。だけでない「強さ」が、記念館にはありました。